大貫妙子のCMソングを語る上で外せない人物といえば、オン・アソシエイツの大森昭男さん。CM音楽ディレクターとして若き日の大瀧詠一、山下達郎、細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏、矢野顕子、矢沢永吉、宇崎竜童、鈴木慶一、そして大貫妙子といった錚々たるアーティストをCMソングに起用し、彼らの新たな魅了を世の中に紹介した、と言っても過言ではない人物です。
今回は、大貫妙子のワークスベスト発売を記念して大貫さんの歌の魅力について語っていただきました。
---今回のワークスベストはどのようなコンセプトで選曲されたのでしょうか?
大貫妙子(以下、大貫):今作は、我が家に保存してあったカセットテープやDATから選んだ楽曲を収録しています。ちなみにCM用に作ったものをフルサイズにしてアルバムに収録した楽曲は入れていません。
大森昭男(以下、大森):ほう、それは面白いですね。
大貫:あとテープが劣化してしまったり、私が出演している部分が少ないものも候補から落として最終的な収録曲を決めました。それを年代順に並べたので時代の流れも感じられると思います。若い時はハリのある声をしているし、歌い方もいまと違いますから。特にナレーションは「これ、私?」みたいなものもあったりして面白かったですね。歌う時と違って、少し口角を上げて声を張るとか、優しく語るようにとか。まったく違う声の出し方をしているので分からないんだと思います。
大森:そうでしょう。そのCMの内容にもよりますけど、ナレーションの声って独特で。普通の話し声ともまた違って聞こえるはずですよ。
大貫:でも「コンタック600」のCMは細野(晴臣)さんの「ごめんね」っていうセリフが入るんですけどね。あれの細野さんは今と全く変わってませんでした(笑)
---大森さんと大貫さんの出会いはいつ頃からなのでしょうか?
大森:僕にとっての大貫さんの原風景はね。…70年代にシュガーベイブ時代、早稲田アバコスタジオにいらしたことがあるでしょう?
大貫:ええ、いろいろな仕事でよく使わせていただきました。
大森:そこでお見かけした、長めの上着を着て、自分よりも大きなギターを抱えて坂道を登ってくる健気な姿でした。どこかタフな感じがとても印象に残っていたのです。雑誌『考える人』のアフリカにおいでになった時のエッセイを読み、ああと思ったんです。
大貫:普通の人ならアフリカっていうと危険って思うかもしれないんですけどね。最初にナイロビに行ったときにね、土埃の匂いがしたんですよ。その時にわあ、懐かしいところに来たなと思って。すごくほっとしたんです。故郷に帰ってきたような感覚でした。私が子供の頃、東京は道路も舗装されてなくて土と太陽の匂いがしていましたからね。夜、お日様のいい匂いがするシーツに包まれて眠った原体験がそこで一気に思い出されて安心しちゃったんですね。
大森:健気で可憐なだけではなくて、こういうしなやかな、強いところもある方だったんだなと妙に納得した覚えがありますよ。
大貫:可憐って(笑)
大森:私の中ではそういう感じでしたよ。シュガーベイブで歌っていらっしゃる声に惹かれて。いつかこの声を活かせる仕事があったらご一緒したいと虎視眈々と狙っていました(笑) ソロで歌っていただいたのは、井上鑑さんが作曲された「資生堂FRESHRE」っていうCMが最初ですね。
大貫:どんな曲だったかしら。
大森:わりと高い音域の曲でしたね。音源はウチにありますよ。…1976年の作品でしたね。
大貫:まあ失敗した。知っていれば今回入っていたかもしれないのに。
大森:おや、おっしゃってくだされば喜んでご提供したのに! ちなみにこの曲よりも前にソロでお出しになった音源はあるんでしょうか?
大貫:CMでは…ないですね。テレビでひとりで歌ったりはしましたけど。
大森:そうでしょう。ならばこれが初めてのソロ音源だ。
大貫:ああ、残念無念(笑)。でももう間に合いませんからね、第二弾を作る時にはぜひ!
---CMソングのディレクターとして大貫さんの歌声の魅力はどこだと思われますか?
大森:そんなに力強い声ではないけれど、素直に響きますよね。だから言葉が持っている意味がストレートに伝わって心に入ってくるんです。言葉がはっきりと意味として伝わってくるっていうのは、コマーシャルにとってとても大切なことなんですよ。最近は滑舌がふわふわっとして言葉が伝わりにくい人も増えていますけど…。
大貫:言語は聴いて覚えるものですからね。子供たちが発音のきれいな日本語を聞く機会は減っているかもしれませんね。CMに限らず歌い手が言葉にこだわりをもつのは、歌手の条件だと思うんですけど。私は日本語好きですから、洋風のリズムやメロディに乗りにくい言語ではあるけれど、だからと言って崩しちゃったらダメでしょ、と思うタチなんで。
大森:外国の方に聴いてもらっても、日本語の美しさは伝わると思うんですよ。言葉の意味はわからなくても言葉を音として感じてくれますからね。
大貫:そう、海外で日本語の歌を歌うと、「意味はわからないけど、きれいな言葉だ」って言われることが多いですね。ヒップホップとか例外はあると思うのですが、私は日本語を崩して英語っぽくしてしまうのは歌詞を伝えるということに対して邪道だと思うんですよね。海外ではあまり聞いたことありませんせんね。フランク・シナトラを聴いてみても分かるように、発音が綺麗ですよね、それが基本だと思うんですけどね。
---おふたりの作品の中で、一番思い入れがある曲はどれですか?
大森:僕が大貫さんとご一緒した中では「美しい人よ」が一番の思い出ですね。
大貫:私にとっても大切な曲です。フルサイズにするときにブラジルで録り直したりとか、いろいろやってみたんですけど、やっぱりオリジナルが一番いいって言うんでアレンジを戻してアルバムに収録した思い出があります。いまでもよくコンサートで歌わせていただいてます。
大森:大貫さんは覚えていらっしゃるでしょう? これは演出家の結城臣雄さんがね、サンチェス・ホセ・パディーリャの「花売り娘」を使ってJR東日本のCMを作りたいっておっしゃってね。それには大貫さんの歌がいいんじゃないかってスグに決まったんですよ。でもこの原曲の権利をいただくのが大変で。スペイン大使館に協力をお願いして、現地の権利者に許諾をいただけるように手紙を出したりしてね。
大貫:ええ、聞きました。とても大変だったとか。
大森:大貫さんには、「花売り娘」をJR東日本用にする詩もお願いしたいと電話でご相談したら、曲は知っているわよってことで、快く受けてくださった。そして完成した歌詞がとにかく素晴らしかったんです。出だしの【雲が流れる 高い空/どこか遠くを 歩きたい】なんて、あれだけで旅の情景が感じられますよね。先ほどの権利者にスペイン語訳にした歌詞を送ったら「これは素晴らしい詩だ」と褒めてくださって。それでOKがいただけたようなものです。
大貫:私、旅が好きなんです。特に電車の旅。景色が流れるに従って、自分の思い出も走馬灯のように流れて時間が逆戻りしていくような気分になれるから。だから旅にまつわるお仕事は多いかもしれませんね。
大森:言われてみれば確かにそうですね。
大貫:歌詞を作る時はそういう旅先で見かけたような映像が、一枚の写真みたいに頭に浮ぶことが多いです。例えば男と女が舗道の向こうとこっち側にいる景色だったら、その映像が誰にでも思い浮かべられるような、立体的な言葉を探します。でもなるべく説明くさくならないように、場面場面でパッパッて切り替わるようなものにしたいですね。
大森:なるほど
大貫:ちなみに「美しい人よ」はJR東日本のCMだったので、景色が広がる旅の空をイメージして書きました。
大森:確かにどこか上空に広がる歌詞ですよね。
大貫:この曲は少し高めの音域で歌っているんですけど。きれいに日本語が響くかどうか、メロディに言葉が乗るかどうか何度も歌いながら作りましたね。音楽ってイントロと最初の出だしがとても大事でしょう。CMは特に、つかみって言うのかな、だから気を配りましたね。
大森:大貫さんにとって、日本語って英語に比べてメロディアスな言語なんでしょう?
大貫:俳句や短歌の言葉の美しさはメロディーですよね。日常語からメロディーはあまり浮かばないんですが。だから私の歌詞は俳句や短歌に近いです。
大森:本来、日本語は実にメロディアスだ。それを非常にわかっていらっしゃる。歌詞だって日本語の語感も考えつつお作りになっているでしょ。
大貫:メロディが高いところや声を張るところは、一番きれいに伸びて発音しやすい言葉を置くことが多いですね、「こ」「と」とか。逆に「み」「に」はできるだけ使わないように(笑)。前後の意味合いを考えながら歌詞をつけたりするのは、パズル感覚に近いです。
大森:そうですね…あと、大貫さんのオリジナル曲だとアサヒ飲料の「三ツ矢サイダー」は思い出深いですね。こちらも結城臣雄さんとのお仕事でしたね。
大貫:70年代は大瀧詠一さんや山下達郎さんのCMソングでしたけど。84年と85年は私だったんですよね。初年度は教授(坂本龍一)が編曲と演奏をしてくださったファンタジックな曲で。翌年は伊藤銀次さんによるモータウンサウンド風な跳ねたものでした。
大森:大瀧詠一さんのサイダーのCMは画期的でした。伊藤アキラといって、「この木なんの木」とか有名なCMソングを作られた、私と同じ三木鶏郎門下の作詞家が手がけていました。
大貫:【あなたがジンと来る時は/私もジンと来るんです】なんて歌詞、普通は出てきませんよ。
大森:それまでにないような新しい感覚の若い人が台頭した時代だったんですね。
大貫:この頃、私はたぶん6つくらい上の世代だと思うんですが、演出家の関谷宗介さんとか大勢の素晴らしい方によく飲みに連れて行っていただいて。
大森:おや、それは良い経験でしたね。
大貫:まだ皆さん30代そこそこだったと思うのですが、集まると皆で意見を戦わせてね。モノ作りについてとか、時代の話とか。ものすごく情熱に溢れた方たちで、私はその横で耳をダンボにしてすごく勉強させていただきました。
大森:80年代はいわばCMの黄金期でしたから。予算があってわりと実験的な事ができる時代だったんですよ。そんな中で、大貫さんの周りにプランナーやCMディレクターとしてその当時の一流の方が大勢いらしたこと、映像の世界も大貫さんにお願いできるシチュエーションが揃っていたということはとても幸せなことでした。
大貫:最近になると、この頃に私が歌っていたCMをテレビで観ていた子供たちが大人になって、制作会社に入って、あのCMのような映像を作りたいってオファーをくださることがあるんです。それだけ長くやっているということなんですけど、制作の現場が世代交代してもお話がいただけるっていうのはとてもありがたいことです。
---では、最後におふたりにとってCMソングとは何でしょうか?
大森:私にとってはCMソングに限らずCM音楽制作の仕事の中で、大貫さんのような素晴らしい方にたくさん出会うことができた。人生にとって大切な人との出会いの宝庫ですね。
大貫:CMって基本的にオンエア回数が多いので、どの時代でも自分の声が集中的に流れることは歌手にとって嬉しい事ですね。今でも周りの方から「あ、今のCM大貫さんだ!」って反応が返ってきたりしますし。私の歌い手としてのひとつの礎を築いてくれたものだと思っています。それから、大森さんもおっしゃっていましたが出会いの場。素晴らしいアレンジャーやディレクターやミュージシャンと出会うことができた場所でもあります。CMがきっかけで私のアルバムに参加していただいたミュージシャンも大勢いらっしゃいますしね。
大森:なるほど。
大貫:それに、自分のオリジナル・アルバムを作ると責任は100%私にかかってくるのだけど。CMはたくさんの方と一緒に作っていくものなので、自分のやるべきことがはっきりわかるし、その責任はあるけれど、中心となるものは商品なので客観性が持てて楽しいんです。
大森:そうですね。クライアントにとっても、さらに視聴者のためにも、とにかく美味しい物をつくらなきゃいけないっていう大変さはあるんですけどね。となると素材が大事でしょ。…素材なんて言ったら失礼だけど。
大貫:いえいえ、素材ですよ。私たちは。でも素晴らしい才能が集まったからって絶対に良いものができるわけじゃないですからね。そこは大森さんのような間を取り持ってくださる方がいらっしゃらないといけないわけで…本当に感謝しています。
大森:いろいろ難題はありますが、CMテーマという決まった土俵の上で何ができるか皆で考えて、いいものを作るっていうのは楽しいことですね。
大貫:ネットが普及してテレビを見ない時代になったなんて聞きますけど、それでもCMだけは意外と見られてますものね。そこに携われるのはやはり嬉しいですね。
インタビュー・文/伴 牧子、写真/藤里一郎
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大貫妙子がこれまでに手がけたCMソングやTVテーマ曲から、未だに愛され続ける名曲の数々をコンパイル。80年代から年代順に収録した貴重な音源の中には初CD化となるものも!
大貫妙子
『ゴールデン☆ベスト 大貫妙子 ~The BEST 80's Director's Edition~ 』
『MIGNONNE』から『NEW MOON』までの80年代の作品を中心にしたベスト盤。大貫妙子と当時のスタッフによる選曲&デジタル・リマスタリングで新たな魅力が見えてくるはず。