湯山玲子 1960(昭和35)年・東京生まれ。
著述家。出版・広告ディレクター。(有)ホウ71代表取締役、日本大学藝術学部文藝学科非常勤講師。
編集を軸としたクリエイティブ・ディレクション、プロデュースを行うほか、自らが寿司を握るユニット「美人寿司」を主宰し、ベルリンはコムデギャルソンのゲリラショップのオープニングで寿司を握るなど日本全国と世界で活動中。
著作に文庫『女ひとり寿司』(幻冬社)、『クラブカルチャー!』(毎日新聞出版局)、新書『女装する女』(新潮社)、近共著に『ビジネスの成功はデザインだ』(マガジンハウス)。プロデュースワークに『星空の庭園 プラネタリウムアフリカーナ』(2006夏 六本木ヒルズ展望台)、2009年まで通年の野宮真貴リサイタルなど。
第十三章
「日本はいつになったら大人になるか?」
坂本:NYに住んでいる旅好きのフランス人の友人がいて、彼は国連に務めているんだけど、彼曰く「日本ほどお金を出して他の国では得られないラグジュアリーを得られる国はない」と。どの国へ行ったとしてもすごくプライスがはっきりしているけど、日本はプライスレスのものが得られると。
湯山:フランス料理なんかでも、東京のフレンチは外国の美食家たちは驚かれますからね。ずっと前に坂本さんと行った、カンテサンス(※1)にイギリス人のディレッタント(※2)な現代美術家を連れて行ったら、最初は「ふーん」なんてバカにしている感じだったけど、コースが進むにつれ、「何だこれは! 東京って一体どうなってるんだ!」って(笑)。
坂本:フランス人のその友人は新潟までわざわざお米を食べに行くようなやつです(笑)。
湯山:世界レベルのグルメですね。今、そういう行動は美食家ならば当たり前になっている。そういえば日本酒が今、そういう人々の間でトレンドになっているらしい。
坂本:旅慣れしていて、快楽主義で、世界のいろんな快楽を求めて平気でどこへでも行けちゃう。その典型というか、『シェルタリング・スカイ』(※3)のポウル・ボールズ(※4)なんかもそういう感じだったんだよね。ルイ・ヴィトンのバッグを20個くらい持ってどこでも行っちゃって。あの20年代の頃のアメリカって『華麗なるギャッツビー』(※5)の時代で、何か刺激を求めて、お金では買えないものを求めて世界中へ行っていたんだよね。たぶん軽薄な動機で行っているんですけど。そういうすごいインテリのほんの一握りの層がアメリカにはいたんだよね。
湯山:日本ではそういう人はいるのかな?
坂本:何かと言えば白州次郎(※6)の名前が出てくるけど、彼みたいなのが、アメリカには少ないとはいえ今も何百人、何千人といるわけですよ。フランスにもイギリスにもいるわけ。で、日本にはひとりとかふたりしかいないから……(笑)。かつては、そういう層から芸術家が出てきていたんだよね。ビートニク(※7)のウィリアム・バロウズ(※8)だって家が金持ちだったんだよね。
湯山:そうですよね。あんなメチャクチャやりつつ、親のスネをかじっていた。
坂本:戦前の金持ちですよね。だから時代が違えば『華麗なるギャッツビー』の世界だよね。ものすごい頭が良くて。日本は明治、大正、戦前はまだいたけど、戦後はいなくなっちゃったね。
湯山:戦後で考えると、バブル期に若干それも取り戻した感はありますけどね。例えばワインにしてみても、あの時期に高いワインを呑んだ人が大量にいたからこそ、今がある、みたいなところはある。音楽にしてもそうですよね。世界中のマイナーな音楽がこぞって日本に紹介されたりもしたし。
坂本:そう。前にも話したけど(※9)僕は結構バブル肯定派で、バブルは短かったけどあれはあって良かったと思ってる。
湯山:あの時期に日本人はいろいろな快楽と本物を経験しましたよ。
坂本:とは言ってもアメリカにしてもフランスにしても、そういうのを百年単位、二百年単位でやってるわけで。その歴史の中では、大国として蓄積した冨で、世界中からいろいろと強奪してきて、博物館に入れているわけです。
湯山:代々の審美眼とともにね。
坂本:逆に日本は、10年という短期間でよくあそこまで上がりましたよね(笑)。
湯山:元々日本人が持っている勤勉さが遊びに出たのかも。まじめに一生懸命遊んじゃった。遊びとしてはカッコいい態度ではないんだけど。
坂本:いい意味のオタクっていうか、知識欲っていうか。想像するに、同じようなことが明治維新(※10)のときにも起っていたんじゃないか、と。ものすごい早さで新しいものを取り入れちゃう。最初はまだ上下(かみしも)を着てるんだけど、明治4年くらいになると全部ドレスに変わっていたりするんですよ。戦後もそうだよね。負けた途端に「アメリカ万歳」みたいになっちゃって、その節操の無さと言ったら。勤勉と言ったら勤勉なのかもしれないけど(笑)。
湯山:「津波が来て村が破壊された。けど、つべこべ言わずにすぐに復旧する」みたいな身体感覚かも。まあ、地震やら洪水やらが多い国ではあるし、スクラップ&ビルドが染み付いちゃってる。
坂本:日本人にはそういうことに対する免疫があるんだね。全部焼け野原になっちゃっても、大丈夫、OKっていう。また建てればいいって(笑)。ヨーロッパで一回侵略されたら、もう大変だもんね。その当時の石の都市が現在までその傷とともに残ってるわけだから。一方でドイツはちょっと日本に似てて、もう完膚なきままに爆撃されちゃったから、ゼロから建て直さなきゃならなかった。
湯山:ベルリンには、まさにそういう空気を感じますね。人心が一新して、ここから始めようよ、という、あっけらかんとした感じがあって、それが逆に他の国から来た人には、いろいろ物事を始めやすい気がした。ロンドンやパリのようにその土地に根付いた色濃い文化にひれ伏さなくていい。ヨーロッパのアーティストがこぞってベルリンに拠点を持っているでしょ? あそこは古く成熟しちゃったヨーロッパの再生の突破穴でもあると思います。
坂本:やっぱりヨーロッパは大人ですよ。すごい時間をかけて凋落し続けているけど(笑)、なかなか終わらないっていう大人の底力を見せてる(笑)。ちょっとやそっとじゃ終わらないね。スペインが他文化に対して寛容になったのは、それは痛みを味わっているから。大航海時代(※11)に南北アメリカを征服するほどだったんだけど、そのあとイギリスにやられて以来200年以上ずっと敗者だものね。
湯山:負け続けながらも、案外プライド高く続いている底力。
坂本:負け組の痛さがあるから、そういう他文化、他者に寛容になんだと思う。そうやって学んで大人になっていくしかない、っていうのを何百年もやってる。それが足りないんじゃないかな、日本には。
湯山:マイナスの感情をホールドしながら、元気よく生きることが苦手ですよね。すぐにカーっとしちゃっうし。ヘコむし。
坂本:日本人って『徒然草』(※12)とか千利休(※13)とか、もっともっと深いものがあったはずなのに、なぜこんな子供文化になってしまったのか、と。やっぱりそれは、明治維新でリセットし、終戦でリセットし、ゼロよりも低いマイナスからアメリカ文化を学び直して、やっとここまで来たからね。
湯山:一回大人であることをやめちゃったんだよね。明治維新の時は、福沢諭吉で一瞬、独立自尊(※14)の気概を持ったのに。
坂本:ずっと日本は大人の文化だったのに、2回もリセットして赤ちゃんから始めて、やっと小学校高学年くらいになってきたかな、と。それでも「元気をもらう」とか言ってる輩がいるっていう(笑)。日本はまだそういう段階なんだと思う。
次章へ続く・・・
(※1)東京都白金台にあるフレンチ。『ミシュランガイド東京』において、三ツ星の評価を得ている。
湯山さんお気に入りのレストランのひとつ。
詳細は、第二章参照。
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(※2)仕事としてではなく自分自身のために芸術や学問を楽しむ人のこと。平たく言えば、マニアやヲタクとも。
(※3)1990年公開のイギリス映画。第2次世界大戦直後、結婚生活にも人生にも行き詰まっている作曲家の夫と劇作家の妻が北アフリカを訪れたことから始まる、エキゾチックなラブストーリー。音楽を担当したのは、我らが坂本龍一。
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(※4)アメリカの作曲家で作家。ビート・ジェネレーションの中核的存在。代表作は『シェルタリング・スカイ』『雨は降るがままにせよ』など。歯医者の息子として裕福な家柄に生まれたが、21歳で家出してパリに出て以来、南米や南アジアなどを放浪しながら創作活動を行った。
(※5)1974年公開のアメリカ映画。F・スコット・フィッツジェラルドの小説。『グレート・ギャツビー』を映画化したもの。身分違いの女性に恋をした主人公のギャツビーがたどる栄光から破綻を描く。アメリカン・ドリームが具現化し、東部の都会を中心に繁栄に酔いしれていた。ジャズ・エイジと呼ばれる1920年代のアメリカの様子がうかがえる。
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(※6)日本の官僚、実業家。
日本で初めてジーンズを履き、近年「日本一カッコいい男」と呼ばれ、注目を浴びているリベラリスト。戦後、吉田茂首相の側近してGHQと渡り合い「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。
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(※7)1955年から1964年頃にかけて、アメリカの文学界で異彩を放ったグループ、あるいはその活動の総称。概ね、1914年から1929年までに生まれた世代を指す。ビート・ジェネレーションとも。
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(※8)アメリカの小説家。1950年代のビート・ジェネレーションの一人。1960年代にJ・G・バラードらによってニュー・ウェーブSFの輝く星として称えられる。またローリー・アンダーソンや、カート・コバーンなどからもリスペクトされた。私生活では、ボーイフレンドに振られた当てつけに小指を詰めたり、ウィリアム・テルごっこをして妻を過って射殺するなど、話題に事欠かない人物だった。。
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(※9)詳細は、第二章参照。
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(※10)1968年頃に起きた、江戸幕府に対する倒幕運動から、明治政府による天皇親政体制の転換とそれに伴う一連の改革のこと。
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(※11)15世紀中頃から17世紀中頃まで行われた、ヨーロッパ人によるインド・アジア大陸・アメリカ大陸などへの植民地主義的な海外進出のこと。
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(※12))鎌倉時代末期に吉田兼好が書いた随筆。今で言うエッセイ集。
「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」の書き出しで有名。
清少納言の『枕草子』、鴨長明の『方丈記』と合わせて日本三大随筆のひとつとされる。
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(※13)戦国時代、安土桃山時代の茶人。何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出すというわび茶の完成者として知られる。
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(※14)福沢諭吉が唱えた教育理念。「心身の独立を全うし自から其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う」。人に頼らずに自分の力だけで事を行い、自己の人格・尊厳を保つこと。慶應義塾の教育の基本でもある。
福沢は、従来の日本の家柄を重視する門閥制度や官僚主義を良しとせず、欧州諸国において政府から独立した中産階級が国家を牽引し発展させている姿に独立国のモデルを見出す。そこで「一身の独立なくして一国の独立なし」と論じ、まずは各人の独立を旨とし、塾訓としたとされる。