もちろんこのようなノイズ側からのアプローチでない曲もある。例えば冒頭の「hibari」。孤高のピアニスト、グレン・グールドが夏目漱石の「草枕」を愛読していたというエピソードから着想を得たという曲だが、ピアノで演奏された美しいフレーズの断片を徐々にずらしていくことによって、ピアノであってピアノではないような、その響きが持つノイズ性を浮かび上がらせることに成功している。
「この「hibari」という曲は、もともと即興で弾いたピアノのフレーズがあって、基本はそれをループにしているんですけど、コピーして作ったちょっとだけ長さを変えたものが同時に鳴るようにしているんです。そうすると2つがだんだんずれていって、4~5分くらいのところでいったんずれが無くなって、またずれっていて最後の9分あたりで再び合うんです」
そんなズレの面白さは、同じくピアノをフィーチャーした「composition 0919」でも見いだすことができる。携帯電話のCMでも使われたこの曲は、実際はたった3種類の音だけでできており、それらのずらし方というか、組み合わせ方によって音楽に聴こえるよう構成したものだ。
「CM版はビートを入れて聴きやすくしているんですが、音楽的に本当にやりたかったのはこっちのバージョン。こっちが本命なんです(笑)。アルバム最後の曲になるんですが、リピート再生にして1曲目の「hibari」とつなげても自然に聴けると思います」
ピアノをフィーチャーしたもう1つの曲「to stanford」は、実は自分の曲ではなく、坂本が発掘した女性シンガー・ソングライターであるコトリンゴの曲である。
「僕はあまり人の曲をカバーすることはないんです。これまでやったことがあるのはローリング・ストーンズと沖縄の民謡かな…ストーンズと沖縄民謡とコトリンゴってすごい選曲ですよね(笑)。この「to stanford」って曲は本人に言わせると“坂本っぽすぎる”らしいんだけど、自分ではそうは聴こえないんです(笑)。でも、ずっと好きな曲で、去年の8月にロハス・クラシックコンサートで2人で演奏したんですが、それがとても楽しかったので、そのイメージのままに、2台のピアノで演奏するインスト曲としてカバーしてみました」
配信と言えば、昨年末にインターネット中継により行われた記者会見で明らかにされたように、今回のアルバム発売に合わせて行われるライブ・ツアーは、その全公演が録音され、iTunes Storeにおいて翌日にはダウンロード販売されるという画期的な試みがなされる。
「ライブは全部で25回くらいやるのかな。何か違う要素がないといけないと思うんですが、決まった曲をそんなに違ってはできない…毎回間違えるのはできるかもしれないけど(笑)。ピアノ2台を使うことは決めているんですが、それにしても今回のアルバムにはライブでできる曲がほとんどない(笑)。「to stanford」はできるでしょうけど、あと「hibari」はがんばればできるかな…あとはほとんどムリ(笑)。その代わりにというわけではないですが、ライブ会場で販売するパンフレットにはCDが2枚付いていて、おそらくこういう曲をやるであろうというものを入れてあります。今までのライブで記録用に録っていたものとか、パンフのために作った新曲もあって、合計30曲くらいが入る予定です」
レコーディングでそしてライブで、まだだれも成し得ないことをチャレンジし続ける坂本龍一。われわれはそんな彼の行いの目撃者であることを、もっともっと誇りに思うべきである。
text/國崎晋(サウンド&レコーディング・マガジン編集長)